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首里城

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首里城(しゅりじょう、スイグスク)は、沖縄県那覇市首里にあり、かつて海外貿易の拠点であった那覇港を見下ろす丘陵地にあった城。
琉球王朝の王城で、沖縄県内最大規模の城(グスク)であった。戦前は正殿などが国宝であったが、1945年の沖縄戦と戦後の琉球大学建設により完全に破壊され、わずかに城壁や建物の基礎などの一部が残っている。1980年代前半の琉球大学の西原町への移転にともない、本格的な復元は1980年代末から行われ、1992年に、正殿などが旧来の遺構を埋め戻す形で復元された。
首里城の創建年代は明らかではない。近年の発掘調査から最古の遺構は14世紀末のものと推定され、三山時代には中山の城として用いられていたことが確認されている。おそらく、13世紀末から14世紀のグスク造営期に他の沖縄の多くの城同様に成立したものと考えられる。(Wikipediaより抜粋)
公式HPはこちら


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守礼門
この近くに、猫ちゃんが2匹いた。


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那覇市内が見えます。いい眺めですぅ。


小高い山の上に、城壁に守られて今も厳かに佇んでいる世界遺産。首里城。

ここに王様が住んでいたんだなぁ。
一体、どんな暮らしだったのでさう。

琉球王国って『日本』とは別ですよね。全く別の国。

ちなみに何故 琉球王国が日本に属したのかというと、
明治維新の流れで、薩摩藩の侵略と廃藩置県(琉球処分)によって首里城が墜とされたからです。明治政府が派遣した大軍勢になす術もなく、1879年(明治12年)廃藩置県を宣言、約500年にもわたる琉球王国は終焉を迎えたのでした。
本当、無理矢理侵略したという印象しか持てませんよね。
『新時代の幕開け』という小綺麗な建前の裏に、どれ程の惨劇があったのかは想像を絶する気がします。
歴史をたどっていくと、どっちが悪者でどっちが善い者がわからなくなる。

そしてその約60年後、太平洋戦争の沖縄戦で首里城は焼失します。
過去3度火災に遭っているので、4度目の焼失になります。
木や花や虫、建造物、国宝なども一緒に失われ、
残ったお宝は殆ど米軍に横取りされるという悲劇…。
戦争って本当に全てを壊していくんだなぁ・゚・(ノД`)

暗くて悲しい過去を背負った首里城。
そんな惨劇が二度と起こらぬよう、広い空の下 穏やかに沖縄の平和を守っているようでした。
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| お出掛け | 13:53 | comments:2 | trackbacks:1 | TOP↑

COMMENT

歴史の弱者、被害者等で語られる沖縄ですが琉球王朝も現沖縄各島々を武力と恫喝と搾取で支配し同化政策を計り琉球化した事を知ってますでしょうか、それらの島以外にも元から倭の王朝の一地方であった現鹿児島に属する徳之島やその他の島でも島津に課税されてたにもかかわらず琉球王朝も徴税したり、琉球王朝の国家神道の神女の聞得大君に次ぐ位の神女の配置を強要して宗教(神話的とも言える)祭礼や文化風習をさせ琉球化させ同化しようと策動していた事を(田舎の鹿児島で徳之島の古老から聞いた事ですから曖昧な事もあると思いますが・・・。)

沖縄の『○○国』とか付く名前の島や地方は昔琉球王朝政府と違う民族と文化帯で独自の自治が強く同化されたらしいです(文献の一説によると)、他県の人は知らないでしょうが今も沖縄本島以外の島のお年寄りの中には自分たちは琉球人(沖縄人)じゃないと強く思ってる(訊かないと主張はしません)人もいますよ(酒の席で聞いたことですが)。

沖縄本島自身の歴史も殺戮と争いの歴史である事や琉球の海賊が大和の地方や船を襲ってた事もなぜか語られる事がありませんが調べると面白いですね、島津の支配が今の沖縄の文化風習の独自性の源(琉球と大陸と大和のチャンプルー文化)である事とか、その後幸か不幸か中華主義の輸入により格差階級化が琉球に強く根付き中華的王権が力を持ち民が臣民と位置付けられた事とか、今後の沖縄、琉球研究が楽しみです。

私の今住む大阪は沖縄のように戦争の被害者として全土で語られませんが大爆撃で丸焼けになり平地になりました、近所の親しいおじさんも子供の時焼夷弾で火傷した事を聞かせてくれました、沖縄が戦災や平和の象徴とされる事には理解しますが日本本土や南洋その他多くの島でも苦しんだ人がいた事も知ってほしいです、戦争や過去を美化したりまた、平和主義や人権主義や特定の思想運動の主張や戦略の道具として使う視点からの主張の決め付けを否定し当時の日本のおかれた背景や世界情勢を冷静に分析し中道の視点からあの戦争を見たいです。

| ぬん | 2008/04/09 12:35 | URL | ≫ EDIT

ぬんさん、はじめまして。
沖縄旅行帰りでしたので、沖縄目線で書いてみました。
う~ん、確かに綺麗で美しい今の沖縄を見てしまえば、過去あった事など露も知らずにリゾート出来てしまいます。
そんな平和が、少し怖いくらいです。
勉強が足りませんでしたね;貴重な情報、有り難うございました。

その辺りは難しい問題でして、
日本だって昔は中国やロシアを侵略して酷い事をしていたのに、
アメリカに戦争で負ければ被害者ぶって、平和主義を掲げています。
でも何が正しいかなんて判らないのですよね。
戦国時代やら明治維新やらでも、一見華々しい新時代を作ってる裏で 大量の人間が殺されています。

人と人の戦いとは、今も昔も変わらず醜いものですね(笑)
これを機会に、また色々と研究いたします!v-87

| Rin | 2008/04/10 05:04 | URL | ≫ EDIT















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三山時代三山時代(さんざんじだい)は古代琉球の時代区分のひとつ。1322年ごろから1429年。沖縄本島では13世紀に入ると、各地で城(グスク)を構えていた按司を束ねる強力な王が現れ、14世紀には三つの国にまとまった。南部の南山(山南)、中部の中山、北部の北山(山北)

| 美ら沖縄 | 2007/09/29 10:24 |

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