PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

江戸火消について

連載中の『纒娘 町火消』シリーズ(らくがき?)
が折り返し地点になりましたので、ちょっくら小休止。

『江戸火消』について、おおまかに説明します。

江戸時代の火消システムは、寛永元年(1624) 徳川家光の時代に産声をあげます。
その頃は奉書火消という名前でした。
それから20年後、諸大名が組織し屋敷の消火にあたる
大名火消と名を改めます。

それからまた15年後…
万治元年(1658) (前年に江戸の大半を焼き尽くす明暦の大火があった)
旗本に白羽の矢がたち、幕府直属の火消『定火消』が誕生します。
火消屋敷にスタンバっており、火事がおきると出動。
武家の次男三男や庶民を雇ったりして、約200人で組織されています。

さてその頃、幕府や大名や旗本などの偉い人はいいのですが、
下町に暮らす一般の庶民は火事になったら一体どうしていたのか?
…正解は、「てめぇらで勝手に消せ!」です。
自分で出した火は自分で消す。
江戸初期は、街の体制がまだ完全に整っていなかったので
公的な町の消防組織は成り立っていませんでした。

町制が布かれ、きちんとした自治体になるまで
江戸開府からなんと百年も待たねばならなかったのです。
世は徳川吉宗の時代。
今までずっと文化というものは、上方が中心でしたが
徐々に東に移ってゆき、江戸文化が豊穣の時代を迎えた頃です。

そして享保三年(1720)、吉宗が町奉行大岡忠相に相談して
庶民のための初めての民間消防組織、『町火消』が制定されたのです。


0___9.jpg
豊原国周の火消装束の役者絵 東京ー二伊達競の一枚

喧嘩と火事は江戸の華。
粋でいなせな町火消は、ヒーローとなり歌舞伎や浮世絵にたびたび登場します。
いろは四十八組に分けられ江戸の町中にくまなく設置されました。

花形は、なんといっても纏持ち。
「ここで消しとめるぞ!」という場所の屋根に立ち、纒を上げます。

燃え盛る炎の中、駆け抜ける火消装束の男達を想像しただけで
胸が熱くなります。
災害をも美学にしてしまう。それが、江戸の心なのです。


8_0.jpg
「み組の纏」歌川芳虎画

町火消は四十八組ありますから、纒も四十八種類あります。
纒を見ただけで、「あれはどの辺りの地区だな」とわからなければならないので
どれも個性的でカッコいい。
たとえば上の画像、三番組み組だったら、担当地区は今でいう港区田町あたり。
広く延焼すると他の組も応援に来るので、喧嘩が起きるのもしばしばあったそうです。

纒のデザインがたまらなく好きな私。
オリジナル纒が欲しい。別に、火消じゃないけど。。笑

余談ですが、日本の消防組織は、世界で一番早く発達しました。
災害すらも美学に昇華し、町を整えようとする日本人の高潔さを
江戸火消の歴史からも多く汲み取る事ができるのです。
スポンサーサイト

| 呟き | 16:30 | comments:0 | trackbacks:1 | TOP↑

COMMENT















非公開コメント

TRACKBACK URL

http://nadeshicorin.blog70.fc2.com/tb.php/1233-28954177

TRACKBACK

まとめtyaiました【江戸火消について】

連載中の『纒娘 町火消』シリーズ(らくがき?)が折り返し地点になりましたので、ちょっくら小休止。『江戸火消』について、おおまかに説明します。江戸時代の火消システムは、寛永元

| まとめwoネタ速neo | 2012/06/22 22:41 |

PREV | PAGE-SELECT | NEXT